政治学者で京都大学教授の待鳥聡史氏の著書「政治改革再考」(発行2020.5.25)には、次のような記述があります。
「1990年代以降の政治改革を振り返るとき、いくつかの重要な領域が改革されないまま残ったことは、大きな意味を持った。そのような領域の一つが、国会とくに参議院である。」(272頁)
「国会改革を取り上げてみても、衆議院と参議院の権限関係を変化させることなく運営を改めたとしても、それが日本の政治過程や政策のあり方にどう結びつくかは判然としない。」(279頁)
「今日の政治分析の基本は、切り分けである。・・・・・切り分けではなく、複雑な現象をできるだけ包括的に扱うことで、その全体像をよりよく把握する方法はないのだろうか。」(281~282頁)
これを読んで、私は、国会改革は到底学者に任せられないと改めて実感しました。元国会職員であり、現在は大学教員である私の正直な感想としては、待鳥教授のような考えでは実務で議員を適切にサポートすることは難しく、学生も理解できないのではないかと感じています。今日、国会改革とは何よりも参議院改革であり、「参議院の役割とは何か」が最も重要な論点であるはずです。衆議院と参議院の権限関係についても、参議院の役割が明確にされることが議論の前提です。参議院の権限は、参議院の役割という目的を果たす手段ですから、参議院の役割(目的)が不明確なまま、参議院の権限(手段)について議論しても意味がありません。しかし、この自明のことが学者には意識されていないように感じます。これこそ議論が混迷する元凶であると荒井達夫は考えます。参議院改革について参考人として国会招致される学者の多くが、曖昧で具体性のない意見に終始しているのは、ここに原因があると思います。これでは参議院改革が実現できるはずがありません。学者は方法論を誤っていたのではないでしょうか。
また、公文書の改ざん事件は「民主主義の根幹を揺るがす問題(大島理森衆議院議長談話)」と言われていますが、この事件の本質は、行政の組織・人事にあります。すなわち、我が国の政治行政システムにおいて、公務員による法の誠実な執行を確保する仕組みが機能していないという問題です。「行政監視=法律執行の監視」という視点を持てば、この問題が非常にクリアに見えるのですが、今日の政治分析の「切り分け」という方法では、見えてこないのではないでしょうか。大島衆院議長が「真摯で建設的な議論」を望んだ公文書の改ざん事件と行政監視という問題は、政治改革を考える際の極めて重要なテーマであるはずですが、待鳥教授のこの本では取り上げられていません。「民主主義の根幹を揺るがす問題」についての考察が抜け落ちており、政治学者としての問題意識を疑います。参議院の役割を考えずに、参議院の権限や選挙制度について議論するという、学者間に蔓延する著しく非論理的な思考も、「切り分け」が関係しているのではないかと私は想像しています。「切り分け」によって問題の背景や周辺が見えず、論理的な議論の順番も分からなくなっている状況のように思えます。
「民主主義の根幹を揺るがす問題」が起きているのですから、民主主義の原理に基づいて政治行政の問題の本質を洞察するという思考が必要です。私は参議院在職中、山下栄一参議院行政監視委員長に同行して行政の現場視察を集中的に行っていた2009年から、山下委員長の依頼で「行政監視」の理論研究を本格的に開始しました。そして、参議院退職後、研究を続けるため「行政監視」を専門とする大学教員となり、2016年2月に参議院憲法審査会に参考人として出席し、「行政監視」の定義(荒井説)について述べました。さらに、参議院行政監視委員会の客員調査員を努めた竹田青嗣氏(哲学者・早稲田大学教授)の協力を得て研究を続け、2024年9月に私たちの新学説を「行政監視に関する荒井・竹田説」と命名しました。これは、参議院行政監視委員長による行政の現場視察という国会の実務を踏まえた理論研究であり、学者の「切り分け」とは全く異なる手法によるものです。国会の調査員として学者と議論してきた経験から、特に「切り分け」による机上の議論では、問題の本質が見えなくなるという強い実感があります。
「行政監視に関する荒井・竹田説」は、民主主義の原理(竹田説)に基づいて、「行政監視」の意味(荒井説)を考えることで、「行政監視」を参議院の役割として捉え、選挙制度の議論につなげる体系的な説明を可能にしました。国会の実務家によるこの新学説が、参議院改革の理論的支柱になると荒井達夫は確信しています。参議院改革についての議論では、学者が実務家(国会の議員と職員)に比べて確実に十数年遅れていると見ています。国権の最高機関を支える国会の実務家は、学説に期待することなく、自信を持って議論を未来に向けて前進させるべきです。
「1990年代以降の政治改革を振り返るとき、いくつかの重要な領域が改革されないまま残ったことは、大きな意味を持った。そのような領域の一つが、国会とくに参議院である。」(272頁)
「国会改革を取り上げてみても、衆議院と参議院の権限関係を変化させることなく運営を改めたとしても、それが日本の政治過程や政策のあり方にどう結びつくかは判然としない。」(279頁)
「今日の政治分析の基本は、切り分けである。・・・・・切り分けではなく、複雑な現象をできるだけ包括的に扱うことで、その全体像をよりよく把握する方法はないのだろうか。」(281~282頁)
これを読んで、私は、国会改革は到底学者に任せられないと改めて実感しました。元国会職員であり、現在は大学教員である私の正直な感想としては、待鳥教授のような考えでは実務で議員を適切にサポートすることは難しく、学生も理解できないのではないかと感じています。今日、国会改革とは何よりも参議院改革であり、「参議院の役割とは何か」が最も重要な論点であるはずです。衆議院と参議院の権限関係についても、参議院の役割が明確にされることが議論の前提です。参議院の権限は、参議院の役割という目的を果たす手段ですから、参議院の役割(目的)が不明確なまま、参議院の権限(手段)について議論しても意味がありません。しかし、この自明のことが学者には意識されていないように感じます。これこそ議論が混迷する元凶であると荒井達夫は考えます。参議院改革について参考人として国会招致される学者の多くが、曖昧で具体性のない意見に終始しているのは、ここに原因があると思います。これでは参議院改革が実現できるはずがありません。学者は方法論を誤っていたのではないでしょうか。
また、公文書の改ざん事件は「民主主義の根幹を揺るがす問題(大島理森衆議院議長談話)」と言われていますが、この事件の本質は、行政の組織・人事にあります。すなわち、我が国の政治行政システムにおいて、公務員による法の誠実な執行を確保する仕組みが機能していないという問題です。「行政監視=法律執行の監視」という視点を持てば、この問題が非常にクリアに見えるのですが、今日の政治分析の「切り分け」という方法では、見えてこないのではないでしょうか。大島衆院議長が「真摯で建設的な議論」を望んだ公文書の改ざん事件と行政監視という問題は、政治改革を考える際の極めて重要なテーマであるはずですが、待鳥教授のこの本では取り上げられていません。「民主主義の根幹を揺るがす問題」についての考察が抜け落ちており、政治学者としての問題意識を疑います。参議院の役割を考えずに、参議院の権限や選挙制度について議論するという、学者間に蔓延する著しく非論理的な思考も、「切り分け」が関係しているのではないかと私は想像しています。「切り分け」によって問題の背景や周辺が見えず、論理的な議論の順番も分からなくなっている状況のように思えます。
「民主主義の根幹を揺るがす問題」が起きているのですから、民主主義の原理に基づいて政治行政の問題の本質を洞察するという思考が必要です。私は参議院在職中、山下栄一参議院行政監視委員長に同行して行政の現場視察を集中的に行っていた2009年から、山下委員長の依頼で「行政監視」の理論研究を本格的に開始しました。そして、参議院退職後、研究を続けるため「行政監視」を専門とする大学教員となり、2016年2月に参議院憲法審査会に参考人として出席し、「行政監視」の定義(荒井説)について述べました。さらに、参議院行政監視委員会の客員調査員を努めた竹田青嗣氏(哲学者・早稲田大学教授)の協力を得て研究を続け、2024年9月に私たちの新学説を「行政監視に関する荒井・竹田説」と命名しました。これは、参議院行政監視委員長による行政の現場視察という国会の実務を踏まえた理論研究であり、学者の「切り分け」とは全く異なる手法によるものです。国会の調査員として学者と議論してきた経験から、特に「切り分け」による机上の議論では、問題の本質が見えなくなるという強い実感があります。
「行政監視に関する荒井・竹田説」は、民主主義の原理(竹田説)に基づいて、「行政監視」の意味(荒井説)を考えることで、「行政監視」を参議院の役割として捉え、選挙制度の議論につなげる体系的な説明を可能にしました。国会の実務家によるこの新学説が、参議院改革の理論的支柱になると荒井達夫は確信しています。参議院改革についての議論では、学者が実務家(国会の議員と職員)に比べて確実に十数年遅れていると見ています。国権の最高機関を支える国会の実務家は、学説に期待することなく、自信を持って議論を未来に向けて前進させるべきです。